人間誰しも生まれて初めて吸ったタバコ1本が美味いって感じはあり得ないのでは。私が親父のタバコを興味本位で吸ったのは確か高校生くらいの時だったのでは(勿論親父の前で)。当然むせいで不味いって感じでした。ところが大学生になった途端、あちらこちらでタバコを吸っている1年生がいる。私は全く興味なかったけど、1本勧められたのがきっかけでニコチン中毒症発症。この時も最初から勧められた1本が美味かった訳ではなく、直ぐにニコチン中毒症になった訳ではなかった。こんな生活を1年間程度送った頃はもう完全に喫煙者となっていた。今から思えば、タバコが美味くなっていったのでは無く、口が卑しい自分にとって誠に好都合な嗜好品であったことが喫煙常習者になった最大の原因であったと確信できる。
1日せいぜい1箱程度の喫煙人生に始まったが、時の経過と共に最大時は1日3箱弱の喫煙人生となっていた。人間不思議なもので、タバコを吸う機会(時間・場所)が少なくなればなるほど1回に吸う本数が増える。1回で3本くらい吸うのはざらであった。つまり、7回の機会で1箱無くなる勘定である。喫煙環境が少なくなっていったのは徐々にではあるが、確実なことは職場での敷地内禁煙が大きな転機であったことである。それまで、職場ではところ構わず(仮に妊婦さんがいても)スパスパ喫煙、会議でも灰皿の準備は欠かせなかった。そのうちに会議での喫煙は中止、職場では喫煙コーナーを設けるなどして、だんだんと喫煙環境は狭められていった。こんな喫煙者でも、自分の車がヤニ臭くなること、新幹線の喫煙車両にしみ込んだヤニ臭さ、あるいは喫煙者の口臭には嫌悪感を感じていた。一方、我が家でも家内での禁煙は当然のこととなった。これは、新築した家内のあちらこちらが茶色にヤニ臭くなっていくのを自分自ら嫌ったという理由もある。
実は30歳代中頃に約2年間の禁煙生活を体験していたことがあった。きっかけは、金の無駄遣いに嫌気がさしたことが主であったと記憶している。暫く禁煙すれば、200万円くらいの金は浮く。そして、300万円の車を買うことも可能になるという勝手な理屈であった。但し、喫煙できる機会を特例として自らに与えた。それは、酒席の場であった。そして、帰宅するとタバコをクシャクシャに握りつぶして、ゴミ箱に捨てていた。この時期はまだ翌日から立ち直って禁煙することに苦痛は伴わなかった。しかし、この機会を増やしたいと勝手に思い、自分を許したことが次第にいい加減な禁煙生活に戻るきっかけとなってしまった。それは、週末(土・日曜日)は喫煙しても良いというものであった。たまの酒席だけなら影響は少ないが、1週間の2/7の許容はかなり月曜日に禁煙生活に戻ることに抵抗感を与えた。そして、元の喫煙生活に戻った。
全ての行動の句読点が喫煙であったことを考えると、この句読点がなくなることによって、あらゆることにやる気が起きなくなるということ。これは事実である。句読点がないので、生活にメリハリがなくなってしまい、横になる。直ぐに睡魔が襲ってきて、極端なことを言えば食事以外は寝るという生活になる。起きていてもなんだか落ち着かなくて、多少のイライラ感も感じる。果たして、コーヒー好きの自分がタバコ無しでコーヒーを飲みたくなるのか?果たして、アルコール好きの自分がタバコ無しでアルコールを飲みたくなるのか?全く想像できない自分がいた。しかし、意外にコーヒーもアルコールもタバコ無しでも十分に飲みたくなるとうことであった。これは本当に意外な真実を知ることであった。
実は今の職場に変わってから2年目を迎える。ここは敷地内どころか敷地外も一切禁煙の環境であった。転勤直後は、とうていこの職場でまともにイライラする仕事をこなすのは無理であると絶望感に浸っていた。そこで、考えついたのがニコレットの使用。確かに喫煙したくなる場面で効果大であった。でも、いつしか思うようになったのは、出勤時から帰宅時までの12時間余りの時間を禁煙することに抵抗無くなった自分の不思議さである。同時にニコレットについて言えば、タバコよりはるかに金がかかるということである。1個当たり約80円、タバコは1本当たり約15円。いまでもニコレットは存在するが金銭的に馬鹿にならない。しかし、本気で禁煙する意志があるのであれば、極めて有効な投資であることも事実である。もう一つ、ニコレットについて思うこと。朝2本吸った場合は、その後の禁断症状を緩和するためにニコッレットを無性に身体が要求してくる。しかし、1本も吸わない状況では、ニコレットの要求感は全くと言ってほどに無くなる。中途半端に1本吸うから、身体がニコチンを要求してくるのであって、全く吸わなければニコレットを要求することはなくなる。つまり、その日のいつに最初の1本を吸うのかが大切なのであって、それが遅くなれば(無くなれば)、タバコをその次もう1本吸いたくなる感情は随分と緩和されるということである。
節煙(1日10本以内)は、要は吸っているわけで通常の喫煙と何ら変わらない。日によって、10本を越えることもあるし、いつまでもタバコを吸いたくなる感情がわき出てくることは間違いない。医者によれば1本吸うのも20本吸うのも身体に悪いものであることには変わりはないらしい。そりゃ、1本と100本では後者の方がガンにかかるリスクは高くなるだろうけど。タバコを吸いたくなくなる、我慢しているという感情をなくすことは節煙では無理である。これは何度も痛感しているので断言できる。生活の句読点でタバコを意識しないようになることが必要である。
上記と重なる部分もあるが、節煙から禁煙に移行するのは相当に辛いものがあると思う。たとえ、それが朝だけ1本喫煙、帰宅後だけ2本喫煙であっても。きっと、朝の到来を待つだろうし、少しでも早く帰宅したくなると思う。つまり我慢しているという感情が常に恒常的程度で維持されると思う。きっぱり禁煙は最初は我慢してることに変わりはないかもしれないが、徐々にニコチン中毒や習慣から脱却していくことが可能である。
今は偉そうにこんな内容を記しているが、この気持ちがいつまで続くのかが不安でもある。ダイエットと一緒で、気持ちが続かなくなってリバウンドする可能性も大である。しかし、食事制限は我慢しているという感情がずっとついて回る。しかし、タバコの場合は、ニコチンに対する要求さえなくなれば、何ら我慢しているという感情はなくなる。今はそう信じたい。そして、たまの酒席などで知人に1本だけ欲しいといって、吸ってそれで何らその後の禁煙生活(禁煙ではなく無煙の方が妥当かも)に影響のない日々を送っている自分を想像したい。
今もタバコを吸いたくなる場面は、食後、朝犬に餌をやるために戸外にでるとき、散歩に行くときなどであり、ほんの少しの場面に限られています。つまり、いつもタバコを吸いたくなった感情と戦っているわけではないのです。自称ヘビースモーカーの私ですらこんな感じなので、もっと軽いスモーカーはもっとそのような機会は少ないはずです。この喫煙習慣を変えることができれば、禁煙はそんなに苦しいことではないと思います。喫煙の句読点となる行動はいっぱいあっても、本当に吸いたくなる句読点はそんなに多くはありません。いやほんの少ない最大あっても5つ以内の句読点です。一般的に言われるのは、喫煙者がタバコを要求するのは、@「退屈しているとき」A「集中しているとき」B「ストレスを感じるとき」C「リラックスしているとき」だそうです。
身体に悪い、将来ガン発生の主因となる。あたりが禁煙生活に踏み切るきかっけになると思う。しかし、これだけでは、動機付けが弱いのでは。何故か、全ての病気につながる生活悪習慣は痛い目に遭わないと絶つことは難しいと感じるからである。自分は肺ガンにはならない、喫煙者だけが肺ガンになるわけではない。などの勝手な言い分(悪魔のささやき)が自分を襲ってくる。今や若い者の多くはタバコを吸わない人間が増えている。日本の禁煙教育のたまものであると感じる。大学でも職場でも、いや路上でもタバコを吸うことのできる場所は極めて限られている。つまり、タバコを吸わないことを前提にした生活環境に日本は変わりつつある。自分が大学生になった時、全く興味本位で不味いタバコを吸った以前の自分に戻りたい。これが、今の禁煙の理由付けである。つまり、タバコを吸う特殊な人向けに少しだけ環境を提供している日本で、そのような特殊な人にはなりたくないという感情である。昔から、タバコが1箱いくらになったら禁煙するかという議論がある。かつての私は、1000円程度であると思っていた。しばしば、たばこ税増税論議がもちあがるが、一挙に1箱1000以上に挙げて欲しいというのが、今の正直な思いである。
この3週間を「最初から、もうタバコを吸わないなんて、何て素晴らしいんだろう」と思っていれば3週間後にはタバコを吸いたいという気持ちは完全に無くなっている。しかし、「何とか3週間だけ、吸いたい気持ちを我慢すれば」と思っていると3週間たっても、死ぬほど吸いたい気持ちは起こりうる。
例えば、喫茶店でのコーヒーの後の一服、酒席での友人の喫煙状況をみた時のぐらつき、食後の一服などの状況に出くわした場合に、喫煙欲求が高まるが、自分に言い聞かせる。「喫煙者は美味くて吸っている訳ではなく、麻薬中毒者みたいな病気に冒されているだけである。」。例え、1本喫煙してみても決して美味くなんていう気持ちはもう起こりえない。実際に吸ってみても、決して満足感は得られない自分に気づく。
暫く禁煙して、1本を何らかのきっかけで吸った時、その1本は決して美味いとは感じない。しかし、その1本が美味くなくなったという理由で、たまには1本吸ってももうタバコ常習者には戻らないだろうという気持ち。これは極めて危険な1本となりうる。吸える場面を設定すること自体危険ではあるが、その場面は非常に希におこる場面であることが絶対必要条件である。
喫煙欲求は徐々にではあるが少なくなってきている。今でも欲求を感じる場面は、朝の一服・帰宅後の一服・夕食後の一服・集中した仕事の後の一服。でも成長した。それも直ぐに消えてくれる。全くタバコのことを考えなくなるまでにはどれくらいの期間がかかるのだろうか。よく言われるのは、ニコチン中毒が消えるまでに3週間かかるということ。ところでタバコを買わないと金を使う場面はめっきり減った。1週間に1回くらいの酒の出費くらいのもの。調べてみた、家計簿の中のタバコ代1,332,010円。しかも2003年3月1日からでこの額。約6年間の計算なので、20歳からの換算金額は、6660050円。約700万円ではないか。1日あたり600円程度。この金額は長い間の嗜好品であれば、納得いく(酒・食事などと同じ意味)。でも吸わない人(そんなものに興味を抱かなかった人)にしてみれば実に空しい出費であることは間違いなし。3週間後に“まだ継続中”と書けることを祈ってThe End。
タバコが無くて当たり前になって約半月経った。タイトルの感情が正直なところである。全く吸いたくないのかって聞かれれば、No。時として吸いたい時もある。しかし、吸ったところで大して楽しいことでもなかろうと思える。
遂に22日間が過ぎました。飲み会の特例の2本喫煙は3回ほどありましたが、問題なく禁煙しています。今日の出張で喫煙者のタバコの臭いを嗅いで、「うわー臭い!」と思った信じられない自分がいました。
実は2009/2/22に思いっきり冒険してみた。この日の夕方は飲み会であるがため、朝からコーヒー&タバコを体験したくなった。どうせ、飲み会で吸うんだからというのが理由である。しかも絶対にこの禁煙がいい加減にならないという自信があったからである。結局、この日1日で惰性で1箱ほど吸ってしまったが翌日からは何ら問題なしの自分が居る。今や私にとってタバコとは、たまに食べたくなる脂身タップリの肉・寿司の類となった。そして今日は不思議な環境に出くわした。私が何気なくタバコというものを吸った最初の場所にたまたま出張したのだ。勿論、もはやタバコを吸いたいと思う気持ちは消え失せていた。バイバイスモーキング!私の喫煙生活はこの場所から何となく始まったけど、今は終止符を打っている!タバコを吸わないと行動がスムーズである。何故かって?節目節目の無意味な一服が無いからである。
さて、久しぶりの飲み会である。喫煙も飲み会の日だけは大目に見ている。つまり、自他共に許諾している。理由の一つは眠気覚ましであるが…。仕事から帰って、先ずは1服してみる。何故か受け付けない。不味い。立て続けに3本吸ったが全然上手くない。もう完全にバイバイスモーキングである。感謝感謝、体の変化に!今なら語れる“禁煙教育”について熱く。
いつまで続くやら-“禁煙日記”-を付けてみます